「地下鉄は誰のものか」を読んで

Twitterに簡単に感想を書いたらスルーされたので詳細に書くことにする。

気に入った感想だとリツイートされるみたいなんだけど批判したからか、まとまってなかったかでスルーされたんだろう。

東京都の副知事として、都営地下鉄を運営する東京都交通局の元締めとして、また東京メトロの株主(国と東京都がほぼ半々の株主)としての東京都の立場から東京の地下鉄を改善していこうという運動をしているさなか、これまでのことを書いた作品である。

不合理な点、都営地下鉄と東京メトロを一元化すれば改善される点、便利になるであろう事、そのために動いている内容など、活動報告書的な部分は読み応え充分だ。現在進行形の内容を新書で出してアピールするのもありだろう。

ただ、かなりのページ数を使って、戦前の東京の地下鉄の成り立ちを記述している。これが私には余計に思えた。今の東京メトロ銀座線。これは早川徳次の東京地下鉄道が浅草~新橋間を、五島慶太の東京高速鉄道が渋谷~新橋間を開通させ、乗っ取りかけ騒動などをへて直通運転を行うようになり、国の仲裁と戦時体制下のもとで帝都高速度交通営団が発足した。こんなことは東京の地下鉄に興味のある鉄道ファンなら大抵の人間は知っているし、他の文献にも、ネット上でも調べようとすれば調べられる。

猪瀬氏はおそらく、「一元化」の前例としてあげたかったのかもしれない。

ただ、東京副知事という立場でこの問題を扱い、東京の地下鉄の歴史を文章に含めるのであれば、むしろなぜ東京の地下鉄が二元化してしまったか?こそ詳細に書くべきではなかったかと思ったのだ。都営地下鉄という組織がなぜ誕生したのか。そこが謎なのだ。

この作品中では、高度経済成長期である昭和30年代に、地下鉄の建設工事のペースを早めるためには営団地下鉄だけでは資金面でも、工事実施面でも無理があったとしか書かれていない。建設・運営を迅速に行うためには都営地下鉄という別組織を作ってでも工事を迅速に進め、将来は一元化することとする、程度のことしか書かれていない。

しかし、それほど需要があったのかが書かれていないから見えないのだ。今の混雑度が書かれていたけれども、都営浅草線は122%とあった。開業当時、都営浅草線は2両編成。その程度の輸送量。京成電鉄との直通運転もこれでスタートしている。浅草~日本橋~新橋間で完全に銀座線と並走するバイパス線である浅草線が、京成・京急との直通をするという目的だけでそれほど緊急に必要な路線であったのか?当時の分析があってもいいかなと思った。なんといっても東京副知事の文章なのだから。

2両編成で走るバイパス路線を作らなければ機能しないほど銀座線が混雑していた、という歴史的事実がなければ、浅草線をあのタイミングで作った意味が理解出来ない。東京オリンピックに合わせるのがそれほど重要だったのか?ちなみに、営団地下鉄は東京オリンピックに合わせて日比谷線の建設を進め、オリンピック前に全通させ、都営地下鉄は浅草線(当時は1号線)を建設し、東京オリンピックに間に合わず、オリンピック期間中工事を中断している。

次の都営三田線もそうだ。大手町~日比谷間は営団千代田線と完全に並走している。駅を千鳥配置している。営団側の出版物によるとこの区間は都営持ちの工事で両路線の工事を一括でトンネルを掘ったそうだ。

この本の中で、都営三田線と東京メトロ南北線の白金高輪~目黒間の区間の特例について書かれている。運賃計算も駅の造りも特殊だとしか書かれていない。これは鉄道に関する法律についてきちんと書いたほうがいいだろう。あの区間は、東京メトロが第1種鉄道事業者(施設を所有し、自ら運営も行う鉄道事業者)、東京都交通局が第2種鉄道事業者(施設を借り受け、運営のみ行う鉄道事業者)という形をとっているからあのようになっているのだ。JRの旅客鉄道各社とJR貨物の関係を考えればわかりやすい。

第3種鉄道事業者というのもあり、施設のみを所有し、第2種鉄道事業者に列車を走らさせ営業させる形を取る事業者もある。関西の神戸高速鉄道が代表的なもので、最近では成田スカイアクセスの新線区間がたしかその形になっていたと記憶している。

都営地下鉄を成立させたときに、このような形態がとれたか?とれなかったか?という議論を本の中でしてもよかったのではないか?と思うのだ。ようするに最初から二元化していなかったらよかったのだ。当時はそういう法律がなかったとか、トンネルはともかく車両が、とかいう話になるかもしれない。

私も当時の法律をすべて把握していないので正確なことは言えない。ただ、今、新たにやるならば、都営地下鉄という営業形態はとらないだろう。都営地下鉄はトンネル会社にし、運賃は営団地下鉄(当時)に一本化させてスタートさせればよかった。トンネル使用料が収入で入ってくるから、それでトンネルの工事費の返還と維持・管理をすればいい。車両が準備できなければ最近はリースもある。山形新幹線の400系はリースされていた。

最近の方式でスタートすれば最善の方式がとれたのに当時はそれができずに二元化スタートしかできなかった、どうせ歴史を書くならそういう歴史を書いて欲しかったとつくづく思う。東京副知事なら当時のことをいくらでも調べられる(調べさせられる)だろうから書けただろうに、と歴史のページだけが残念なのだ。

ただ、一元化についてはされたらいいなぁ、とは利用者としては強く思うのは確かなのである。

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